ものづくりの周辺にまつわる雑記ノート。
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冬の日、ランタンの愉しみ
最近のわが家の食卓での定番がこの「灯油ランタン」のあかりである。
来年のキャンプシーズンが待ちきれず購入。雰囲気だけでも、と試しに室内で点火してみたのが始まり。すっかりその柔らかげな明りの虜となってしまった。
夕食時はもちろんのこと、ランチの明るい日中でも、とにかく食卓を囲んで「いただきます」の前にカチッとガラスの火屋をせり上げてライターで点火。 ジッと静かに燃える火に照らされると、残り物のおかずでも何だかごちそうに見えてくるから不思議だ。
騒がしくおせっかいなテレビを消すと、テーブルの上にはとっても豊かな時間が流れ始める。
わが家は築30年の建物なので暖房があまり効かない。窓は結露がびっしり、ストーブに張付いていても寒さから逃れられない日もある。ところがランタンが輝き始めると、その寒さすら炎の引き立て役にすら感じられてしまう。
(おすすめは雪降るような寒い日に、真っ白な湯気があがるカフェオレを飲みながら使うのがいい。)
炎の魔術か、丸い夕日の様な火を眺めていると気持ち良すぎて眠くなってしまう。そう、数字上の温度ではなく「心の温度」が暖まっていくみたいなのだ。
思えば昔から人々の団らんや食卓の側には必ず「火」があった。火は体を温め、冬の闇を追い払う光でもある。それがいつしか日々の暮らしから追いやられて、焚き火すらぜいたくな社会になってしまった。そして何も語らずとも火を囲むだけで満ち足りた時間すら失ってしまったのではないか。現代の家がいくら高断熱=恒温化しようとも、日だまりや炎の育んだ人の温もりに替えることはできないだろう。
この冬の日のランタンの愉しみ、とくに薪ストーブをあきらめていた方へぜひおすすめです。でも火の扱いと換気には十分気をつけるようにしてほしい。
(2007年12月28日加筆修正)
建築とオートバイ その1
もう一度オートバイに乗り始めた。
学生時代は交通手段は250ccの中古のオフロードバイクしかなくて、 毎日、雨の日も雪の日も当たり前に乗っていた。10年を経て久しぶりに乗ってみると、走りの感覚は割とすぐに戻ったけれど、運動不足による腰痛と体の切れの悪さがまるでオイルが廻っていない歯車のよう。
むしろ体の変化よりも気持ちの変化の方が大きいかもしれない。 今考えると、20代は恐ろしい位の無茶をしていた。30代の今は少しは無理をしなくなった(と思う)。
ハンドルに仕事や家族への「責任」というものがぶら下がっているからだろう。
また、ファッションに気を使うようになった。 安全面への配慮もあるがオートバイ乗りは一種の美学で乗っているわけでダサいのは乗る意味すらない。きっと装備を大事にすればそれだけ安全運転にもつながるだろう。
もう一つ、クルマという足がありながらあえてバイクに戻る、ということの価値を考えながら乗っていることだ。維持費は軽自動車並にかかるので、道楽といえば道楽に違いない。スピードをだせばストレス解消にもなるのかもしれない。あるいは慢性的な日常のアカを落とし、ちょっぴり「自由」な気分を手に入れたいからだろうか?
でも、見た目ほどオートバイは自由な乗り物なんかじゃない。
何せ自分の身体にサディスティックな感覚を刻む乗り物だ。雨が降れば濡れるし、風に当たれば体は冷える。音楽はエンジン音と風切り音だけ。 なによりも転倒すれば只では済まない緊張感が常に伴っている。だけども他の乗り物、つまりクルマでもヒコウキでも、ある質量の物体が高速で移動する乗り物は全て本質的には危険なものだ。
安全とは本質が身近にあるか否かの認識と距離感でしかない。
(これは建築でも一緒。)
オートバイはむき出しの危険と乗り手の理性がバランスを取りあって走るもの。「死」と「生」の境界線を斬り結ぶように突き進んでいく感覚の一瞬を、きっとライダーなら誰でも味わったことがあるはずだ。
あらゆる生の選択の一瞬はこの手この足にある、ということを。
この本能的な自由意志の在り処に気づけるのなら、 オートバイは自由な乗り物になれる。
僕が乗っているのはヤマハ発動機のSRXというマシン。17の時に憧れていた、原点のようなオートバイだ。あのイノセントな不安な毎日と、地平線の向こう側に自分の居場所と自由を求めていた十代の感覚にはもう戻れないが、ハンドルを握ると、一方では時間が経っても何一つ変わらない自分と会話しているかもしれない。
路上の風の中で。
(2007年4月1日加筆修正)
無垢考
芯まで本物の素材を「無垢材」という。 なぜ「無垢=手あかのつかない=汚されていない」というのだろう。
僕の設計した建物はなるべく素材そのままに使う。 無垢だけど、傷つきやすいし、汚れやすい素材ばかり。 便利グッズみたいな新建材より、
それらは加工に手間がかかるので、そう高価な素材も使えない。 和紙とか鉄とか木とか、一応保護材で処理するけれど、 平気で汚れたり錆びたりする。 維持するためには大掛かりな装置が要らない代わりに、
普段の手入れが必要になる。
それでもテフロン加工とかされたものとか光触媒とかに比べれば、 時の経過の痕跡は残りやすい。 設計も決してラクではない。 なぜ好んでその様な素材を使うのだろうと暫し黙考。
健康に良いから?味わい深いから?安いから?・・・永久に建物に封印する判断としては、どれも決め手を欠く。
理由を探すならば、・・・むしろ傷つきやすく、汚れやすいから良いのである。 それは人も同じだと思うから。 傷つかず、汚れない人間と話しても会話にならないだろうし、接しても心は融け合わない。
上辺だけのキレイな顔をはがしたら、全く違う顔が隠れていたなんて、 そんなヤツは信用できない。 仮に表面の加工技術が進み、眼はごまかせるようになっても、他の五感全てをだますことはできない。むしろ目では木に見えても匂いはプラスチックではその違和感の方が気持ち悪い。
傷や汚れは人の痕跡、しるしだ。僕はデザインに迷うとき、まだ出来ていない建物の終局の姿、つまり朽ちても廃虚になっても美しい姿になる方向を選択している。
やっぱり木は木で、プラスチックはプラスチック、 鉄は鉄、石は石のままであってほしい。
嘘をつかず、揺るがない。 汚れても傷ついても年をとっても正直であることを恐れない。 きっとそれが「無垢」の意味なんだろう。 何か人付き合いにも通じそうな話です。
僕ならそんなモノ達に囲まれて同じ時を刻みたい、と思う。
郷愁への旅
僕はその時代を知らない。
今年の初め、正月旅行気分で「くりこま田園鉄道」に乗った。このローカル鉄道は今年3月中に廃線になってしまうので、これが最初で最後のチャンスであった。普段、自家用車に慣れてしまうと「わざわざ電車を乗りに」というのはマニアでない限りかなり億劫に感じてしまうが、最後、の焦燥感に駆られて駐車場のある細倉マインパーク駅に向かった。
細倉マインパーク駅はその名の通り、鉱山で賑わった町だったが、今は昔、正月休みのせいもあって駅にも通りにも人気が無い。時刻表の時間つぶしに「東京タワーのロケ地」の立て看板に引かれ、無人の従業員向けの社宅地を歩く。昭和30年代の雰囲気そのままに撮影セットに活かされた町は荒野のよう。長髪の僕はオダギリ君に間違われはしないか、と不要な心配をしながら沈黙の窓が並ぶ通りを歩く。晴天のまぶしい太陽の影が、巧妙な化粧を施され大道具と化した、フェイクな情緒を浮き上がらせ余計に淋しくなる。
やがて1時間に1本の電車の時刻となり、おにぎりとペットボトル茶を買って駅に向かう。ピストン運転のプラットホームは予想以上の賑わいで、窓辺の小さな一人掛けの椅子に座って落ち着くころには8割方の混み様である。軽やかなテープのアナウンスの後、発車した。
冬の午後2時の光は優しい。狭い谷あいに沿うように古い枕木の上を1両編成の電車がゴトゴト走っていく。あらゆる年齢層の乗客の賑わいは、かつての全盛期の光景だろうか。その手にデジカメやら機関砲の様な一眼レフが覗いていることを除いて。田園地帯に出て、のどかなだなぁ、と目をやると田んぼの中から何台ものアマチュアカメラマンの集中砲火を何度もあびる。車中も車外もカメラ、カメラ。僕の様に昭和30年製のハーフカメラを携える位のセンスはないのか!、、、とはいえ所詮同じ穴のムジナ、いやヤジ馬には違いない。
郷愁という名の電車に乗って、捨てたはずの「人情」「団らん」を求める客を乗せ終点へと走る。この電車はどこから来て、どこへ行くのか。この廃線の姿は決して過去の光景ではない、という危機感が夕暮れとともに募ってくる。事実、地方のどこでも見近な日常の足が民営化、企業の不採算性・撤退、補助金減少などで消えていっている。既に高齢者や子供など交通弱者が移動できる手段は限られているのだ。確実に地域の火が沈黙しようとしている。
こうして始発駅から折り返すころにはノスタルジーという気分はすっかり消えてしまった。陽はすっかり西に翳り、ハーフカメラのフィルムも使いきってしまった。車内も閑散な普段の姿を取り戻す。駅前の小さなスーパーにフィルムを買いに入った。精算を済ますとレジの若い女の子からお釣りと一緒にお年玉の包みを手渡された。
「これは?」
「ご年始です!」 と屈託の無い笑顔。
光にかざすと五円玉のシルエットが見える。・・・ご縁か。冷えた心に微かに灯がともる。人も地域もだれかと繋がっていたいのだ。
このご縁入りの包みは、まだ封を切られずに財布の中にある。
初心に帰って
書きたいことがうずたかく心のダムに溜め込まれているのに、それを落ち着いて文章にすることができない、余裕の無い日々が続いてしまっている。このまま続くと堰が決壊しそうである。
単純にスケジュールが混みあっているから、と思い込んでいたが、どうもそうではないようだ。
誰が読むかも分からないネットのページ、「上手くまとめて」「多くの人に分かりやすく」「格好良く」と体裁ばかりを気にしすぎて膠着していたのかもしれない。
このエッセイはそもそも 設計やデザインを語る前に「人間」として日々どんな考えでいるかを、少しでも興味を持っていただいた人々に伝えたい為に設けたものだ。共感した人とものづくりをした方が良い仕事ができる可能性が高いし、エッセイへの賛成反対も含め「人とつながること」(最近僕は脳外シナプスと呼んでいる)の足がかりを期待しているからだ。
言葉は難しい。人と人が分かりあうことはもっと難しい。だから理解されなかった時の失望を恐れ、人は口を閉ざし、あるいは多くの言葉の壁を築いてしまうのだろうか。知らない間に築いてしまった壁は、よほど豊かな耳を持つ人との出会わない限り気づきにくい。あぁ、かつて灼熱のインドの路上にいた23才の私は、「水を!」と世界に叫んでいたではないか。
初心に帰って、新しい出来事も、大昔の出来事もできるだけ放出していこうと思う。言葉選びはできるだけ慎重にしたいと思うが、読みにくい文章になるかもしれない。何卒ご容赦を。
(メールで異論反論などコメントを頂ければ励みにもなります。ブログ化も考えています。)
ということで今年初更新のエッセイ。
恒例の年賀状拙画を載せて、ア・ハッピー・ニュー・イヤー!(笑)
一期一品
設計事務所として7年目に入る。そのスタートは一部屋のリフォームから始まったが、建築士としての道のりは細く曲がりくねり、先達も灯明もない、まさしく手探りで歩んでいる道のりである。
「美しくて当たり前」の世界を知る一方で、デザインとは無縁の依頼者に葛藤を感じる仕事も多かった。しかしここ数年になってようやく、他者の大事な資金を使って他者の住まいをデザインするという営みの中にも創造の価値を実感するようになってきた。
僕に設計を依頼したい方の多くは既成のものでは満たされない「Somethings」を抱えている。そのモヤモヤな世界から具現化するのが私の役目である。どちらかというと助産士に近い。だから机上のデザインよりも、個々の依頼者との出会いの形に、自分のモノづくり人としての足掛かりを見いだしたいと考えるようになった。
最近の方針は、図面に入る前の依頼者との会話に多くの時間を費やすようにしている。過去の作品を見て問い合わせを頂くこともあるが、それでも直接の会話を重視したい。会話の中身は具体的な建築の話よりも、関心があること全てに広がる。「画期的な突出したデザイン」が生まれるかどうかは、その会話の先にあり、第一優先ではない。時には意見のぶつかり合いを経ても、掛けた時間に比例して、依頼者が抱く完成後の建物への愛着度や理解度は他よりも増すのではないかと思う。性能を誇るよりも愛すべき一点を見つけて頂ければ設計士冥利に尽きる、と思う。
このHP中の「WORKS」はまさしくその出会いの道程そのものである。「作品」という言葉に設計者の傲りを感じる方は少なくないが、僕は胸を張っていうことができる。「WORKS」は僕と依頼者の「共同の作品」だ、と。
実際、このペースで一生やれても100件には到底たどり着かないだろう。だからこそ道程の先にどんな依頼者との出会いがあるか、本当に楽しみである。
(2006年2月27日修正)
現代ケイタイ考
使っている携帯電話が老朽化していて、先日ついに機種変更した。
今回もドコモのNOKIA製(NM850iG)を選んだ。
同社のNM206、NM502iと、初めてケイタイを使い初めてからNOKIAばかりを使ってきた。 理由はそのボディデザインとツールとしての人との距離感である。
その製品全てではないが、手にしっくりとくるボディデザインが多い。
新機種を持ってみると実に絶妙な「持ち心地」がある。
まるで陶芸で粘土の固まりをぎゅっとつかんで、 手から絞り出されたような感覚。
親指の付け根の腹・人差し指・中指の3点で固定され、 親指一本で楽にタッチできる。
しかも左右の手を持ち替えてもさほど違和感がない。
まるで「情報の手」と握手しているような感覚。
購入して数日しか経たないが、 すでに手の感触になじんでしまった気がする。
こうなると日本のケイタイがTVのリモコンの類に見えてしまう。
最近は意匠の華やかさは増した感はあるが、
表面を除けば既成の操作性から何も進歩していないのではないだろうか。
それがNOKIAの「一掴み」でストレートに感じてしまったのだ。
同じ北欧の家具といい、この手のこだわり方が実に優れている。
反面、NM850iは今回DoCoMoブランドで出されたことで、
機能が大幅に制約されたものとなった。
(カメラの画像をメールに添付できないなんて!)
NOKIAのオリジナルのモデルは、
話せる文房具(PDA)=スマートフォンというコンセプトがデザインの軸となっている。
まるで通信料を払わなくても使える機能をドコモが阻むかのようにさえ映る。
文房具の進化形であるNOKIAと、情報(=テレビ)リモコン化する日本のケイタイ。
単なる端末のデザインから、
個人の情報能力の拡張と通信会社のせめぎ合いが見えるようだ。
ただ、旧態依然とした専売公社的な発想しかドコモができないようならば、
今回がドコモとしての最後の機種変更になる気がする。
日本のケイタイにはもっと人間寄りのデザイン、
ソロバンや包丁やカンナのような発想があってもいいと思う。
人間の風景
毎年2月になると決まって出かける土地がある。
山形県最上郡金山町。
奥羽山脈と秋田県境の山地に挟まれた土地はこの季節は豪雪に包まれ、 東北生まれとはいえ雪の少ない土地に育った人間には別世界である。
向かう谷口集落には雪に埋もれそうな木造の旧分校があり、 「四季の学校」と称して農村体験や心づくしの宴が開かれるのだ。
そこにたどり着くには危険な雪道を長距離運転していかないといけないのだが、 なぜか冬のこの季節、5年間一度も欠かしたことがない。
風景の素晴らしさ、地元の人々の温かさに魅せられ、 知らない知人に何とか魅力を伝えようと手を尽くすが、 僕の誘う言葉や写真では力不足で唇が寒くなる。
結局の所、半ば強引に、半ば騙すように引っ張っていくのであった。
従って、騙されて連れてこられた友人達がどんな感想を持っているのか、 宴が始まっても気がかりでならなかった。
今回はアウトドアに興味がない家族を連れていったので尚更である。
ところがその家族がついと朝の散歩に出かけ、雪まみれになって帰ってきた。
外は前夜降り積もった新雪が静かに輝き、時折り舞い散る雪が空に煌めいていた。
帰り道の車内で、彼女はつぶやくように散歩の感想を話した。
「すごい静かだった。 けっこう遠くまで歩いていったんだけど、 廻りに誰もいないのに、ちっとも寂しくない。 不思議だね。」
僕は即座にその問いに答えることができた。
「それはね、きっと何気なく見ているこの里山や田んぼや道の風景が、 長い時間と多くの人の手を経て出来上がったものだからなんじゃないかな。 そして今も、体の一部のような感覚で、山を整備し、畑を耕している。
『心』が何気ない風景にとけ込み、それに包まれているから寂しくならないと思うよ。 逆に人もいて、多くの視線に曝されているのに街や近郊の風景はなぜか寒々しい。
省みられぬ風景ほど寂しいものはないってことだろうね。 それは人も風景も一緒だな。」
夕闇に浮かぶ仙台のビル群のシルエットを見ながら、 僕たちはつかの間の旅の温もりを胸にそれぞれの家路を走った。
つくり初め
ここ数年、木版画で年賀状を作っている。
そして今回も明けて元旦からの製作となった。
一年に一度の版画づくり。
昨年はプライベートで記念すべき年となったので、4版刷りと気合いが入る。
元朝参りもそこそこに、ただ一心不乱に下絵を描き、板を彫り、バレンでこすり続ける。
日が昇りあっという間に西に沈み、雪がどっと吹いては、太陽に溶けていく滴の音を聴いた。
そして気が付けば外出せぬまま正月休みの殆どを使い果たしてしまった。
もったいない時間の使い方だが、僕はずっと幸福な気分に包まれていた。
人とは会えなかったが、板や彫刻刀やインクと話した。
正月映画は観なかった、自分の内なる世界とじっくり向き合えた。
遠くには行かなかったが、ものづくりの奥深い道程を知った。
稚拙で、自己満足な行いには違いないけれど、新年の初めに書き初めならぬ「つくり初め」をしたわけで、ものづくりの端くれとしては価値ある時間を過ごせたように思う。
そして明けて知るのは、いかに僕たちの生活というのは真逆の「消費」の世界に包まれているか、という窮屈な事実であった。
正月は地獄の釜が開いているといって、松の内は派手に振る舞うことを慎んだというが、ものを買いあさり、美食大食を貪るような人の姿を見ると、坂本龍一が新年のラジオで呟いた「消費者という名の奴隷」という言葉が眼前にちらつき、思わず背中に寒いものを感じてしまう。
アーツ&クラフツ運動の提唱者、ウィリアム・モリスは遙か昔に大量生産品の粗雑さに失望し、手業の復興から人間性の復権を目指したという。
その思いは「版画づくりの荒行(笑)」を終えた私には親戚の叔父さんの言葉のように身近に感じられる気がした。
いつまで続けられるか分からないが、次の年も、そのまた次の年も版画を彫ろうと思う。
でも肩コリが辛いのでせいぜい2版にとどめます。
「冬の日、ランタンの愉しみ」
2007/12/22
「建築とオートバイ その1」
2007/03/30
「無垢考」
2007/03/07
「郷愁への旅」
2007/02/27
「初心に帰って」
2007/02/20
「 一期一品」
2006/09/07
「現代ケイタイ考」
2006/03/19
「人間の風景」
2006/02/10
「つくり初め」
2006/01/10